阪神淡路大震災から20年

2015年1月15日
 阪神淡路大震災から今年で20年になります。
 平成7年当時、私は地震発生から1か月後、長田区に行きました。市営住宅の1階の部分が潰れ、ビルは傾き、家が焼焦げたにおいと犠牲になられた方の家の前の線香かおりが漂い、平衡感覚がなくなったあの時を今でも脳裏に焼き付いています。

 当時私は31歳。3月の統一自治体議員選挙にはじめて挑戦するために活動を続けていたときでした。
 一瞬にして家族や大切な命がなくなり、時計の針が止まり、体育館で支援に当たっている日赤の宮城から支援している医師、看護師の皆さんの姿、うつろな目で体育館に留まっている被災された女性の表情が忘れられません。
 20年たっても心の復興はじめ多くの課題を抱えている。と伝えられています。

 東日本大震災発生当時から夫と被災地をまわり自らできる活動を行ってきました。
 石巻の専修大学に通い、ボランティアの皆さんの支援を行いました。持ち込んだテントは、「ハッピーテント」と名付けられ、外国人など全国から来たボランティアティアの交流の場になりました。ボランティアで、大阪や神戸から来たから来た阪神淡路大震災を経験した当時小学生だった会社員、女性と出会いました。
 石巻の支援の合間、仙台の我が家で寝泊まりして語り合いました。
 「あの時全国の皆さんから温かい支援があったので自分も何かしなければと思い、被災地にきた。」と語ってくれました。

 大震災を経験した者同士が支え合うこと。
 活動を通じて心の復興へとつながるのかな…と感じています。