「国会に憲法改正の早期実現を 求める意見書」に反対する討論
2014年7月5日
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私は、改革みやぎを代表して、議題18号議案「国会に憲法改正の早期実現を求める意見書」に反対し討論を行いました。
以下その内容です。
私は、改革みやぎを代表して、議題18号議案「国会に憲法改正の早期実現を求める意見書」に反対し討論を行います。
自民党県民会議から提出された「国会に憲法改正の早期実現を求めるための意見書について問題点を指摘して参ります。
意見書では、「日本国憲法は、昭和22年5月3日の施行以来、今日までの約70年間、一度の改正も行われていない。しかし、この間、我が国をめぐる内外の諸情勢は劇的な変化を遂げている。特に、我が国を取り巻く東アジア情勢は、一刻の猶予も許されない事態に直面している。」とありますが、我が国を巡る内外の諸情勢の劇的変化、特に我が国を取り巻く東アジア情勢について 具体的に何を意味するのか全く不明であり、一切説明はなされていません。いま世界各地で平和の地域共同体づくりが大きな流れとなり、東南アジアでも国際問題を平和的に解決する重層的な枠組み作りがすすんでいます。
このような時だからこそ平和憲法第9条を生かした、平和的外交の実現こそが必要になると思います。
「さらに、家族、環境などの諸問題や大規模災害等への対応が求められている。このような状況変化を受け、さまざまな憲法改正案が各政党、各報道機関、民間団体等から提唱されている。」とありますが、家族の諸問題とは何でどうすべきなのか環境をどうとらえ、どう進むべきなのか、大規模災害等の対応がなぜ憲法を改正しなければできないのかなど理由や改正案の趣旨が提示されていません。
「国会においては、平成19年の国民投票法の成立を機に憲法審査会が設置され、本年6月には与野党七党が提出した「日本国憲法の改正手続に関する法律の一部を改正する法律」が成立し、憲法改正に向けた制度が整備された。」とありますが、憲法の役割は、国家権力・多数決の暴走などから国民の自由や権利を守ることにあると考えます。
憲法の改正に、発議には衆参両議院の3分の2以上の賛成を必要とすることになっており、その立法の趣旨は、丁寧な論議を積み上げ、広範な合意の成立をめざすことにあります。そのためには、改正の中身を含め、憲法の論議を深めることが重要でありますが、それを経ずして改正手続きすることは、立憲主義の本旨に反しています。
「よって、国においては、憲法審査会において憲法改正案を早期に策定し、憲法改正について、国民に対して丁寧な説明を行うとともに、国会の場において幅広い議論を尽くすよう強く求める。」としていますが、一見同じ考えに聞こえますが、中身のない空論では、以て非なるものであります。そのことは、県議会の政務調査会長会議において十分な論議をしておらず、改革みやぎ、社民、共産各会派が反対していることでも明らかです。
さて、政府は7月1日の閣議において、集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更を閣議決定しました。国民の声を聞くことなく、自民党、公明党の密室談合で調整し、閣議決定するという乱暴かつ国民に対して不透明であり、そしてなにより立憲主義、三権分立を無視した暴挙です。これからの日本にとって必要で、国民の理解が得られる内容であるならば、堂々と憲法のどこを改正するのか、国のあるべき姿を示した上で、憲法改正の発議をすべきだったのではないでしょうか。
本意見書において憲法の改正を求めているということは、解釈変更で武力行使を拡大しようとする、先の閣議決定と大きく矛盾するのではないでしょうか。憲法改正ありきではなく、国民の皆さんと共に憲法改正の必要性からまず論議をすべきであり、拙速な中味なき憲法改正論には賛同できません。
そう考えるのは、私たちだけではありません。
6月30日、宮城女性九条の会はじめ4団体、弁護士会等800人の皆様が「国会に憲法改正の早期実現を求める意見書案」の採択をしないよう求める申し入れ、自民党政権の、集団的自衛権行使を認めた閣議決定に、全国で怒りと愁いの声が渦巻いているこの時期に、絶対にこのような意見書を認めるべきではないと、多くの皆さんが傍聴に来ています。県議会に来ることのできない被災地のみなさんからも不安の声も上がっています。
民主党は、現行憲法の基本理念を具現化し、真の立憲主義を確立すべく、国民の皆様とともに「憲法対話」進め補う点、改める点への論議を深め、「国民主権」・「基本的人権」・「平和主義」を守り、未来志向の憲法を構想するという考えで論議を進めています。
宮城県議会が、多数を占めている自民党のみなさん、賛同されている公明党、21世紀クラブの議員の皆さんは、県民の声を聞かず今回の「憲法改正の早期実現を国に求める」のは、宮城県議会の良識のなさを全国に公表するような愚挙であります。
釈迦に説法ですが、あえて述べさせていただきます。日本国憲法前文には、日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。とあります。あの戦争で失った多くの命、たくさんの犠牲になった方々の命の尊さ、そして悲しみ二度とあのような悲しみ苦しみを味わうことのない社会、そのための日本国憲法だったはずです。どうかそのことを思い起してください。
この次には、
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。とあります。この「国民の厳粛な信託」ということに答えられる政治でなければならないはずなのに、これをゆがめて行くような意見書をなぜとおすのでしょうか。
そして前文の最後です。 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
この崇高なる日本国憲法の前文を改めて皆様に投げかけまして、議題18号議案「国会に憲法改正の早期実現を求めるための意見書」に反対し、県議会議員の皆様、お一人お一人の政治家としての良心に深く訴えさせていただき、ご賛同をいだくことを心からお願いいたします。